生と死と意識

生と死と意識‼

 

みなさんこんにちは。

 

1.生と死

 

 人間の意識には、「人は、生まれるものであり、生まれたからには、死ぬ定めにある」と刷り込まれている。

 

 創造主=神は、そのようには定めていないのである。

 

 今一度、声を大きくして言う❣

 

 神は、『生命に、死はない』と定めている。

 

 では、なぜ、人間は死ぬものだと思っているのか、疑問1

 

 なぜ、そのように思ったのか、謎の疑問2

 

 この二つについて、答えをプレゼントする。

 

2.疑問1の答え

 

 人間は、神のご命令を忘れただけである。神のご命令を思い出すだけで良い。

 

 神のご命令は、「地上天国を築いて、再び天上界へ帰還せよ」という内容である。

 

 地上に降ろされた人間には、肉体を守るために五感の感覚を取り付けられてある。

 

 この五感の感覚を、他人と比較するために使ってしまったのが、人間である。

 

 天上界は、五感の感覚が不要な国である。天上界に帰還する時は、五感の感覚を脱ぎ捨てなければならない

 

 これが、宗教各派の修行である。

 

 修行すれば、五感の感覚は研ぎ澄まされるだけである。

 

 どうするか!『私は神だ!と言い切るだけである。他のことは一切考えなくて良いのである。

 

 釈迦は、これを「難行苦行、修行に非ず」と喝破している。

 

3.疑問2の答え

 

 人間はなぜ、死ぬものだと思ったのか?

 

 それは、人間を生かしている「生命」を観ていないことから始まった誤解である。

 

(注:生命は、「見る」ではなく「観る」と書いてあるのは、肉眼ではなく、心眼で観るという意味である。

 

すなわち明想が必要であることを意味している。)

 

 

 疑問1の答えは、五感が無くなれば、「生命のみが観えてくる」というおまけがついてくる

 

 生命が観えてくると、生命には死による、中断も、区切りも、破壊も、干渉も、無いことが解ってくる

 

 人間に、今、必要なことは、生命への深い・深い理解である

 

 明想をいくらしてもかまわない、とことん明想出来た時、

これ以上明想を続けると、人間世界へ戻れなくなるぞ、という警告が出る。

 

 そこまで努力して、戻ってくれば良い。

 

 

4.まとめ

 

 

 明想中に、警告が出たら、素直に人間界へ戻ることである。

 

 そこまで努力した人間には、地上世界で、新たな使命が待っているからである。

 

多くの人が、新たな使命を受けた、と祈る!

 

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